インタビュー 医師/天野 惠子 女性の力を信じて。
性差による当然の違いを医療にも
私が医師を目指したのは、7歳の頃、唯一心許せる友人の祖母が亡くなり離れ離れになった際、寂しさから母に「どうして人は死ぬの?」と聞いたことがきっかけでした。
母から「恵子がお医者さんになって人が死なないようにしてちょうだい」と言われ、その時から医師になると決心し、医療の道を目指し始めました。
当時、男性中心の医療の道は決して平坦なものではありませんでした。
さらに東大医学部の紛争やカナダではケベック紛争に巻き込まれ、自分が目指す医療を切り開くにはどう行動するべきか常に考えさせられる道のりでした。
性差医療の必要性を感じたのは、50歳のときに子宮筋腫の手術をし、その後更年期障害による痺れ、全身痛や肌荒れに悩み、他の医師に相談しても改善されなかったからです。
そこで自らアメリカの文献などを調べるうちに性差医学に出会い、治験に用いられているデータは男性が大多数という現実を知りました。
閉経前の女性はホルモンバランスが一定しないため、安定した医学データを採取するには相応しくなかったのです。
自ら経験することで「これは私にしかできない」と性差医療を日本で当たり前にする取り組みをはじめ、それから20年以上多くの仲間たちに支えられ走り続けてきました。
東大医学部の同期生・野中泰延先生に誘われ静風荘病院へ来てから12年程経ち、性差医学・医療の発展の取り組みを応援してくださる静風荘病院や周りの方々には本当に感謝しております。
患者さんの立場になる―絶対に譲れない信念です。
前向きに生きるためには心と身体の健康が欠かせません。
これからも男女共に生き生きと輝く手助けができれば幸いです。